ラストの嵐のシーンに広大なセット
熊井啓監督作品『海は見ていた』は、元々黒澤により撮影される予定で脚本まで書かれていたが、ラストの嵐のシーンに広大なセットを必要とされていたため、コストの面で折り合いがつかず、制作が実現しなかった作品である。
全編をラブストーリーで構成するという内容は、それまで黒澤の作品には珍しく、人生最後の作品にはラブストーリーを撮りたかったという説もある。
また没後映画化された脚本(時代劇)とは別に、仲代達矢は黒澤が生前『戦争と平和』(トルストイ)の映画化を考えていたと証言している。私生活の黒澤はグルメで知られ、この年代の日本人には珍しく肉料理が多かったと家族が著書に記している。
旺盛な創作意欲の原動力に美食生活が欠かせなかったのか、妻や娘が腕によりを掛けた手料理を振舞ったが、一方で食費が余りに高くつくので税務署に疑われるという冗談のような出来事もあったという。
全編をラブストーリーで構成するという内容は、それまで黒澤の作品には珍しく、人生最後の作品にはラブストーリーを撮りたかったという説もある。
また没後映画化された脚本(時代劇)とは別に、仲代達矢は黒澤が生前『戦争と平和』(トルストイ)の映画化を考えていたと証言している。私生活の黒澤はグルメで知られ、この年代の日本人には珍しく肉料理が多かったと家族が著書に記している。
旺盛な創作意欲の原動力に美食生活が欠かせなかったのか、妻や娘が腕によりを掛けた手料理を振舞ったが、一方で食費が余りに高くつくので税務署に疑われるという冗談のような出来事もあったという。
update:2010年01月30日
